作田文子さん/ペルーへの思いがなかったら、あそこまで必死になれなかった。

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作田文子さん

兵庫県西宮市出身。在ペルー・大手日系自動車ディーラー人事部部長。
幼いころからペルーに憧れ、考古学に興味を持つ。筑波大学人文学類で考古学を専攻するも、初めて訪れたペルーでその現状に触れ、考古学より現実社会に目を向けるようになる。
国際協力の道を目指し神戸大学大学院国際協力研究科に進学、松下洋教授のもとで現代政治を学び、卒業後株式会社日本LCAに入社。
のちに株式会社リンク・ワンに移籍し、社内外の社員教育やセミナーを担当。
同社退職後2007年3月に渡秘、現在に至る。

ペルーへの思いがなかったら、あそこまで必死になれなかった。

 

ペルーとの出会いを聞かせて下さい。

ペルーは子供のころからの憧れの地なんです。
小学生の時に見た「太陽の子エステバン」というテレビアニメが大好きで、それ以来ずっとペルー一筋。
あのアニメはペルーだけでなく、ムー大陸やアトランティスといった「七つの海」的なものが混在していましたが、なかでも「インカ帝国」という言葉が一番印象的でした。
小学6年生の時には、お年玉で「世界考古学地図」という結構高い図鑑を買った記憶もあります。
そうした中で漠然と考古学に興味を持つようになったんですが、もし考古学をやるとしても、その舞台は絶対ペルーと決めていました。

大学は地元から随分離れた筑波大学だそうですが、何か理由があったんですか?

筑波を選んだのは、ラテンアメリカ全般に強かったからです。
でも奨学金を受けられたという理由もありますね。実は私が中学3年の時に親の会社が経営不振に陥り、経済的に厳しくなったんです。
私には年の離れた兄が3人いて、彼らはもう社会に出る年齢でしたが、私は末っ子ということで随分可愛がられて育ちました。それまで何不自由なく暮らしていたのに、突然高校にさえいけないかもしれないという状況になったんです。
街のファンシーショップに売られている可愛らしい小物を見て、「もう私はこれを買えないんだ」と思った時はショックでしたね。もう普通の家の子じゃないんだと思うと本当に悔しくて。
そんな私の支えとなったのが、ペルーへの憧れというか執念でした。「このまま負けたくない!」「絶対ペルーで考古学を学ぶんだ!」って強く思ったんです。
ですから、もう必死に勉強しましたよ。参考書もろくに買えず、先生が業者から貰う教科書や参考書のサンプルを譲り受けて、それで勉強したりね。
ペルーへの思いがなかったら、あそこまで必死に勉強できなかったでしょうね。

では、大学では考古学を学ばれたんですね?

最初は考古学を専攻しました。その後アルバイトでお金を貯めて、大学2年生の時初めての海外旅行でペルーを訪れました。
40日間の滞在でマチュピチュ遺跡やナスカの地上絵など各地の考古学遺跡をまわったんですが、ちょうどそのころ、世界遺産でもあるチャンチャン遺跡周辺で、大規模なインバシオン(土地の不法占拠)が発生していたんです。
普通なら、「世界遺産に家を建てるなんて不届きな!」と思うでしょう?でも私は彼らを簡単に責められないって思ったんです。
過去の遺産である遺跡を尊重しないのは、それほど彼らの経済状況が厳しいから。生きるためには何をしてもいいというわけではないですが、貧しさゆえにそうせざるを得ない人がいるんだということを肌で感じました。
貧困に苦しんでいるそうした人を見て、私が目指すべきは考古学じゃないな、現実の問題に対抗していかなければだめだなと思ったんです。
それで現代社会や現代政治学に移りました。


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