瀧山典子さん/「命」繋がる「食」を見つめる!オーストラリアのトップ繁盛店を支える代表アシスタント

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充実したワーホリライフ!その先にあるかけがえのないAUSSIE LIFEへ

どのようなお仕事をされたのでしょうか

初めて有給のお仕事をSYDNEYでしたのは、現在勤めるMasuya Groupの第1号店“Masuya Restaurant”でのウェートレスです。
当時、オーストラリアは経済成長の波に乗っている時期で、実際に2000年のSYDNEY Olympicがもらたした経済効果は17億豪ドル(約6200億円)に上ると試算されており、その効果は94年から大会終了後の2004年までを合わせ、オーストラリアの国内総生産に17億豪ドルの増加をもたらしたと言われています。
雇用の需要供給は益々増え、海外からの観光客も当時は多かったと思います。

経済成長の波に乗り、お店の方も順調だったのでしょうか

はい!肌でそれを感じましたね。
実際、“Masuya Group”の定松代表はその時期に、“Sushi Bar Makoto”の 1号店と2号店、“Musashi、Miso Restaurant”など次々と出店し、飛ぶ鳥を撃つ勢いで急成長していった日本食経営者でした。
そして私は1年後に休暇を取ったあと、メルボルンにて1年間TAFEという職業訓練専門学校で専門知識を習得することにしました。
そもそもTAFEとはオーストラリアの各州政府が運営する職業訓練専門の教育機関になります。
スキルアップやキャリアチェンジに「手に職をつける」留学として注目されています。
そして、その留学も終わり、今の主人の仕事の関係でSYDNEYに帰ってきました。
当時は雇用率も良い時代だったので私は、国際物流の会社に就職しました。
運が良かったと思っています。
SYDNEY経済が盛り上がる時代を、私は物流業を通じて、そして“Masuya Group”の定松代表は飲食店経営者として強く感じながらその時代を違う目線で走って来たと思います。
その間、代表と色々仕事を通じた形で、関わることがあり長きに亘って当時のスタッフとして大切な人間関係を構築させて頂く機会がありました。

ワーホリ時代に特に心に残っていることは何でしょうか

当時ワーホリ時代に私が書いた“書”(書道を12年やっておりました。)を、お客様がお座りになられる寿司バーに大切に飾って下さったんです。
それは大変光栄なことです。
また、私がSYDNEYでスタートした場所が、現在もなお繁盛店であり進化を続けていることは、本当に誇らしく思います。
お店への愛着が人一倍あるのはそのせいなのかもしれません。

ワーホリ後は、どのような進路を歩まれたのですか

国際物流に携わり約8年間、同じ業界を渡って仕事をしてきました。
特に豪州は輸入規制が厳しい国で、海外からのコンテナ船で到着する引越貨物の検疫検査にAQIS検疫官や検疫犬と何百もの検査現場に立ち会いました。
輸入業務の面白さや興味を持ち始めましたし、お客様の間に立って様々なお手伝いをさせて頂くカスタマーサービスが自分に合っていると感じていました。
しかし、航空混載のカスタマーサービスを始めて少しずつズレを感じ始めていました。
人と関わる仕事というより、膨大なメールとシステム管理、見積り作成等に追われ、お客様の喜ばれる笑顔を見る機会は以前より減り、自分らしさと生かすことより、割り切って仕事を遂行していくようになってきたと思います。
しかし、父の闘病をきっかけに、様々なことを考える人生の岐路に立つことになりました。


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