瀧山典子さん/「命」繋がる「食」を見つめる!オーストラリアのトップ繁盛店を支える代表アシスタント

1
瀧山典子さん

愛媛県松山市出身。
大学を卒業後、地元で3年間自動車会社の営業職として勤務し、2000年にワーキングホリデービザを取得し渡豪。
CowraとSydneyに1年間滞在後、日本に帰国。
留学の為、再び渡豪しMelbourneに渡り1年間TAFE(職業訓練専門学校)にて専門知識を習得。
2003年からSydneyで某日系国際物流会社に就職し、海外引越の輸入通関の手配と配送等の手続きを行うカスタマーサービスに従事。
その後.某船会社の子会社で国際物流会社に転職、海外別送品貨物の船便また航空便の輸出入並びに国内ロジステックの手配を行う部署のアドミニストレーション(管理)とスーパーバイザー(監督)を兼任。
出産後の子育て1年後、事業の関係で前会社統合された、同系列のフォワーダー(※航空混載)のカスタマーサービスとして勤務。
日本の家族の事情で長期帰国をする為、退職。
帰国後、闘病生活の家族を支える中、食と命の結び付きを9ヶ月、再確認する。
サイトや文献から食物が持つ栄養や栄養学を研究。
そして、ワーキングホリデー時代からお世話になっていた、Masuya Groupにてレストラン経営を学ぶ為、渡豪し同社に就職。現在、グループ代表のアシスタントを勤める。

海外で働きたい!その強い想いが、自分を導いてくれた

 

オーストラリアとの出会いについてお聞かせください

大学4年生の頃、就職も無事決まり、カナダへ10日間旅行に行ったのが今となっては全てのきっかけになりました。
友人にカナダ行きを誘われたのですが、当時、本当は私はあまり海外に興味がありませんでした。
ところが、カナダの大自然、国民性と見るもの全てがカルチャーショックで、「こんな世界が日本以外にあったのか!」と驚きの連続でした。
中でも、バンクーバーの靴屋さんで働いておられた日本人スタッフの方とお話する機会があり大変衝撃を受けたことを思い出します。
当時、日本での就職は決まっていましたが、海外で働くことへの強い想いがありました。
そして、当時は25歳までしかビザが下りないということもあり、「日本での勤務を3年間続けたら、必ず海外に出る!」と自分の夢が明確になった瞬間でした。
しかし当時、愛媛のような田舎では私のように海外に出るなんて方は周囲にほとんどおらず、親の反対もあり随分と迷った時期もありました。
でもそんな時、偶然にも色々な方々との再会やご縁が後押しして2000年、ワーキングホリデーの制度を利用して私のSYDNEY出発の航海の旅が動き出したのです。

なぜカナダではなく、オーストラリアに行くことにしたのですか

出国先がオーストラリアだったのも、その頃、再会したカナダ在住の旧友のアドバイスが大きかったように思います。
また、彼にばったり世界のどこかで会ったら、大きな声で有難うと言いたいですね。
今となっては当時の出来事は全て必然的に起こったことだと思っています。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>