柏村信光さん/人との繋がりの大切さを改めて感じさせてくれた第二の故郷

kashiwa
柏村信光さん
青森県出身。
2008年に当時のEUとマレーシア政府の共同プログラムの特待生として、マレーシアマラヤ大学院、アジア・ヨーロッパ研究所に進学。
大学院ではビジネスにおける実践的クラスを選択しビジネス感覚を養うと同時に、文化の異なる友人との学業・生活を通し国際感覚も身に着ける。
その後は一度、不動産関係の仕事を経て、現在のイギリス系コンサルティング会社Questor Capital Ltd に入社。
資産形成アドバイザーとして主に個人を対象に、中・長期的な資産運用のコンサルタントを行い、老後生活へ向けての準備等をアドバイス。
またマレーシアへ移住された方への資金管理方法の相談なども請け負う。
現在、独立系国際ファイナンシャルアドバイザーとしては、東南アジア全域にて数人しかいない日本人のうちの1人になる。

外国人とたくさんコミュニケーションをとりたい!そんな想いが自分の世界をどんどん広げていきました。

 

マレーシアとの出会いを聞かせてください。

はい。マレーシアのマラヤ大学院に進んだのがきっかけです。
10代の学生のころは、アメリカやスイスなどで、成人前の人間として様々な国際的経験をさせて頂きました。
海外での進学を望んでいたのと様々な偶然が重なり、マレーシアでの進学が決まりました。

マラヤ大学院には実際どういった経緯で進学されたのですか?

EUとマレーシア政府による大学院進学支援スカラシップという制度を利用して、マレーシアのマラヤ大学院に進むことになったんです。
マラヤ大学院では1年半の間、中小企業論・異文化マネジメントを中心に学んでいました。
内容は非常に多岐に渡っていて、多国籍の人々をいかに一つのチームにまとめていくかというクラスがあったり、または仮想で企業を作ってみるシミュレーションをしたりと非常に実践的な勉強が出来ました。
また、仲のいい友達も沢山でき、プライベートでは現地のマレーシア人の友達とも遊びに行っていました。
しかし日本人とは違いイスラム教徒である彼らは色々と宗教上の理由で出来ないこともあります。
そこでは、相手の立場も考え色々なことを常に意識していかなければなりません。
みんなでご飯を食べるときは、豚肉やお酒を口に出来ないマレーシア人の友達のことも考えどうするか良く考えていました。
お互い妥協する心を持ち、良いバランスを保っていましたね。
そういった仲間たちと同じ時間を過ごせたのは非常に有意義な経験になりました。
日本では経験できなかったことだと思います。

大学院の授業や友人との英語でのコミュニケーションに関しては問題なかったのですか?

まったく問題ありませんでした。
英語の勉強自体に関しては特に好きでも嫌いでもなかったのですが、10代の頃、英語ができると外国に旅行に行きコミュニケーションが取れたり、英字書籍が読めたりと自分自身のできる世界が広がっていくことが分かったんです。なので勉強を良くしていました。
自分でこの年までに英語で困らないようになろうと目標を持っていましたね。
また、勉強というインプット作業だけでなく周りにいる外国人たちに沢山声をかけ実際に英語をアウトプットするようなこともやっていました。
そうしているうちに英語自体にも興味が湧いてきて、着々と英語力も強化されていきました。
そして、いくら英語を話す能力があっても、「コミュニケーションをとりたい!気持ちを伝えたい!」っていう気持ちと人間性が大切なんだと思います。

どんなことがあっても「海外」という選択肢以外に自分が進みたいと思うような道はないんです。

 

まずは外国人に話しかけることが大切なんですね!

その通りです!
私の場合、日本にいた時も外国人が働いているお店に行き、直接声を掛けていました。
外国人の方は“叩けば響く”といった感じで、すっと直ぐに仲良くなっちゃうんですよ。
「コミュニケーションをとって仲良くなりたい」という意識があるからできるものだと思います。
また、国際的なイベントにもよく出かけたりと外国人には意識して会うようにしていました。
大事なのは叩く側のスキルと度量かなと。
大学院もマレーシアという海外の地に身を置くことが出来て本当よかったと思っています。

充実した大学院生活。その後も順調に仕事に就かれたのでしょうか?

いえ、決して順風満帆にはいきませんでした。
まずビザの話になるのですが、何年か前までマレーシアは27歳未満の方は就労ビザが下りなかったんです。
また、IT関係等の特定の業種以外の外国人に対してのビザは発行されなくて、マレーシア国内の人間で十分なのになぜ国外の人間に仕事のきっかけを与えなければならないのかという概念があり規制が厳しかったんです。
ただ大学院卒業後はお金もなかったので、早く働かねばと思っていました。
ビザが発給可能な仕事先を探す日々が続きました。
そしたらふと不動産関係の会社が見つかったんです。
そちらもビザが下りるとのことで4か月ほど働くことになったのですが、ビザは簡単に取れると面接の際に社長が言っていましたが、全くの嘘で会社としてビザを取る気がなく、実際当時は日本人が必要なプロジェクトがあったので、そこの不動産会社は「あの日本人は使えるだけ使い、後は切り捨てればいい」という考えがあったのでしょう。
さすがに頭に来ましたね。

ひどい会社ですね!日本に帰ることは考えなかったのですか?

ひどい会社でした。ただ、日本という選択肢はまったく眼中になかったです。
もともと、日系企業で働こうという意識はありませんでした。
私自身、世渡り上手ではなく、思ったことをすぐ口に出てしまうことがあるみたいで、
また、単一的に何かに合わせるということも好きではなかったので社会的にはいわゆる“浮いてしまうような存在”だったのかもしれません。
一方、限られた経験値の話ですが、海外経験を通して、様々な個人の考えを受け入れる傾向がある。
そういった日本の外の風土が好きでした。
すでに中学生の時には、大学また大学院は海外の学校に行きたいと考えていましたね。
それからというもの将来について考える時、日本企業で働くことはまず無いと思っていました。
だから、マレーシアで仕事を続けていきたい気持ちが強かったんです。


One comment

  1. こんばんは
    私は東京に住んでる小関と申します
    私は今マレーシアの方かマレーシアに住んでいる日本人の方の相談相手を探しています
    その時に柏村さんの記事を見つけました
    今私の友人がマレーシアで大変困っていますので、何か解決策のヒントが見つかるのではないかと…
    大変不躾ですが少しアドバイスをいただきたいですが…

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